プロフィール

平下治
平下治
1978年GISに出会い、翌1979年10月ビジネスGIS専門会社株式会社ジェー・ピー・エス設立、以後一貫してビジネス分野でのGISの運用コンサルタント業務に従事。民間のマーケティング現場での出店計画や既存店の活性化、メーカー等の販売促進計画等を手がける。

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GISマーケティングの株式会社JPS


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私と車 アーカイブ

2007年08月08日

初めての仕事が自動車レース場

富士スピードウエイに就職

大学を卒業する前の年、1965年(昭和40年)12月5日に富士スピードウエイが仮オープンしました。
その時、私は1期生として富士山の麓の静岡県駿東郡小山町にいました。
正式には1966年4月の入社ですが一足早く現場で仕事に就きました。
(翌年2月までに下宿先で卒論を書き、期日までに提出、3月卒業式のためだけに帰郷しました)

明けても暮れても車の話、レースの話です。よくも、こんなに車好きな奴ばかりが集まったものだと思いました。私もその一人で相当な車好きだと思っていましたが上には上の奴がいるもんです。

この時代は、まだ一般家庭にそんなに車は普及していませんでした。3C(車、カラーテレビ、クーラー)を持つことが贅沢そのものでした。

会社にはスカイライン2000GT(プリンス)、フェアレディー1600GT(日産)、コロナ1600S(トヨタ)、べレット1600GT(いすゞ)、ホンダS600、S800、トヨタS800などなど・・・・日野コンテッサ1300GT、ダイハツ・コンパーノベルリーナというのもありました。懐かしいですね!!


こんな車をコースに持ち込んで、皆でタイムを競い合ったりしました。車・車・車の生活の中で1秒(今では0.001 秒)でも早く走る自動車レースに興奮の毎日でした。

私にとって、本格的な車の出会いはこれが始まりでした。

2007年08月16日

私とポルシェの出会い

そんな訳で、普通の若者とは少しズレたような車へ対する感覚が今もなお、根付いているように思います。60歳を過ぎた、今も尚、やはり、車はスポーツカーでないと思っています。

1967年富士の裾野に彗星のように現れたのが「ポルシェ・カレラ6」でした。私の眼が点になりました。
「格好いいー」を通り過ぎていました。そして、コース人出た途端、なんと早いの、早いの!しかも、格好がいいんです。仕事を忘れて見入ってしまいました。
強烈な出会いでした。

確か、この次の年の日本グランプリでこのポルシェ・カレラ6(酒井正)がレースに出て有名な30度バンクでスピン、金網に激突、マシンは原型を留めない大破、誰もが生存を信じなかったその瞬間、レーサー酒井正は掠り傷ひとつなしにマシンから生還。衝撃的な瞬間を目撃しました。
ちなみに、このレーサー、酒井正は次のレースでフォード・コブラを繰って見事優勝をしているのです。

普通の神経ではとてもレーサーなど出来ないと思い知らされました。

将来、やがて、いつかはポルシェ(レースのポルシェとは異なりますが・・)に乗る身分になりたいと”夢”見たものです。

ポルシェは当時も今も(40年以上も)そのスタイルは基本的に変わっていないのです。当時から近代的な空気力学を知っていたかのようなデザインなのです。すばらしい、一言です。信じられないことです。


2007年08月17日

これまでに出会った車

スピードウエイでは楽しいことばかりでした

日本グランプリでニッサンR380、翌年にはR381が・・・その時にトヨタ7が・・・・勿論、ポルシェやジャガー・・・毎日、あのスピード、轟音、においに興奮!

そして、レース開催はカナダ・アメリカンカップ、インディー500マイルレース。
グラハム・ヒル、ジム・クラーク、ジャッキー・シュチアートなど世界の有名なレーサーにまたまた興奮。

しかし、私は父の病気が原因で関西に戻ることになりました。1969年3月退社(3年半在籍)
それでも、レースに関係していたいと考え関西に戻って「富士スピードウエイ関西連絡事務所」の看板をもらって車の修理屋”平下自動車病院”を設立しました。院長平下治、診療科目、内科:エンジン調整、外科:板金塗装、整形外科:チューアップなど・・・

時を経て、後に「アルペン・オート・プラザ」と名前を変えて、ヨーロッパのアルペンラリーに出場するような車を中心に販売する会社にしました。

ここで多くの車に出会いました。出会ったら乗りたいと思いますね。これまでにオーナーとして乗った車は思い出すとこんな車です。

ヨーロッパ車
プジョウ504、フィアット、ワーゲン、ベンツ、BMW、ジャガー、アウディー、モーリス・ミニ、アルファ・ロメオ(ベローチェ・ベルリーナ・スッド・アルフェッタ、アルフェッタGT)、MG、サーブなどなど、そして、憧れのポルシェ911にも。

アメリカ車
マーキュリー・クーガー、フォード・マスタング、シボレー・カマロ、プリムス・ヒューリー、ダッジ・ダート、ポンティヤック・ファイヤーバード、トランザム、キャデラック、リンカーンなどなど、そして、コルベットです。

日本車
サニー・クーペ、クラウン・ハードトップ、スカイライン2000GT、セドリック、ニッサンキャラバン。       

決して、国産車が嫌いと言う訳ではありません。一番安心して乗れて良いと思っています。
友人に乗せてもらって、やっぱり好いなーと思いますが・・・・なぜか自分が選ぶ時は外国車なんです。

これは最近まで乗っていた愛車です。

2007年08月20日

私とポルシェとGIS

 GISの仕事を始めたきっかけは     
実は、ポルシェだった!

私は1979年にGISマーケティングの専門会社JPSを設立しました。そのきっかけ、つまり、初めてGISに出会ったきっかけは実はポルシェだったのです。

以前、「平下治のGIS物語」でも紹介しましたように、私のGISの出会いは大阪大学工学部環境工学科笹田研究室でした。
当時(会社設立の1年前1978年11月)私は生意気にも背伸びをして(でも、憧れだった)ポルシェ911Sに乗っていました。そんなある日、友人であった笹田先生が「僕も1度、ポルシェに乗ってみたいので大学まで持って来てよ」って言われたのです。結果として、この一言が私の人生を変えたのです。昭和48年11月12日のことでした。

11月は日が短いので、夕方、暗くならない時間に大学に行きました。研究室から先生を先頭に大勢の学生さんも降りてきました。先生が運転し、学生さんが助手席に代わる代わる乗ってキャンパス内を何周かされました。「好いなぁー、欲しいなぁー、でも家族みんなで乗れないからなぁー・・・」

一段落して、私が「ところで、先生、時々、話では聞いていたコンピュータの地図って?どんなものなんですか?」と聞いのです。そうしたら「では、見学しますか?」と言われ研究室に行きました。
 これが、私にとって運命的な出会いだったのです。

つまり、ポルシェが縁を作ってくれたのです。今にして想えば、かなり無理をして(他の事を辛抱して)ポルシェに乗っていた甲斐があったのです。

以来、私は何台かのポルシェ(開運の車)を愛車として乗り継いでいます。未だにかなり無理をしていますが・・・・(先日のコルベットは瞬間の出来心で、ちょっと乗ってみたかっただけです)


今、また、これが愛車です。